2010年、AQは瀬戸内国際芸術祭、東京イラストレーターズ・ソサエティ、Tokyo Art Beatのデジタルコミュニケーション戦略を次のステージへ上げるべくお手伝いをさせていただきました。2011年では、文化事業とともに新たな挑戦にかかる前の武者震いとして、カルチャーに関わる面白いウェブサイト事例を世界中からピックアップしていきます。Twitterもやっています。
手前味噌ですが!本記事は、2010年9月29日にオンラインマガジン「Snow Mag」に掲載されたRaphaël Mazoyer氏によるAQのChris Palmieriのインタビューを日本語訳(加筆・修正有り)したものです。
AQは瀬戸内国際芸術祭2010のウェブサイト制作を担当しました。プレス報道の大半がポジティブな内容ですし、また大勢の人が美術館や屋外のインスタレーション作品を見に足を運んでいる。これはかなりの成功と言っていいのではないでしょうか。まず、どのようにこのプロジェクトに関わることになったのか、その経緯を教えて頂けますか?
2008年、主催者である芸術祭実行委員会の方から連絡をいただきました。彼らは弊社と東京アートビートとのコラボレーションについて聞き知っていたようで、それで瀬戸内国際芸術祭のウェブサイトをAQに、と考えてくださったそうです。オンライン上での芸術のプロモーションや、何カ国語にも対応したウェブサイトのデザインを数多くこなしてきたという点、そしてこれは面白い話なのですが、我々の書いたHTMLコードがとても簡潔で分かり易い点にも注目されたようです。芸術祭実行委員会の職員の方は、過去サイトのHTMLコードをチェックされたそうです。
当初の概要はウェブサイト自体に重点を置いたものでしたか?それとも主催者は芸術祭のプロモーションもリクエストしてきたのでしょうか?
ウェブサイトそのものに重点が置かれていたので、我々はまずプレビューサイトを準備しました。しかし、数ページのコンテンツで本イベントへの注目度を上げるのは難しいと思うようになりました。当時、一般人向けのPR活動は全く存在しませんでしたから。
それでアート好きの人たちとTwitterでコミュニケーションを取ろうと提案されたのですね。
ちょうどその頃、Twitterは日本のメインストリームで本格的に受け入れられ始めていました。それに、アート界の関係者やコミュニティが既にTwitter上で注目を集めていることも分かっていました。そこで、Twitter公認アカウントを日英バイリンガルで始めたらどうかと提案したところ、先方も賛同してくれました。
その頃、Paul [Paul Baron: AQデザイナー/ 東京アートビート共同創設者]は、Twitterを利用した東京アートビートのプロモーションに大成功していました。34,000人[当時]のファンとやり取りするなかで、違ったコンテンツや声のトーン、頻度などを試したのが功を奏したのです。この経験から、瀬戸内プロジェクトの成功を確信しました。
AQや主催者の皆さんは、より伝統的なやり方、つまり、ウェブサイトの広告を出すといったようなことは考えましたか?
それは全くなかったですね。オンライン・プロモーション用の予算はほとんどなかったし、芸術祭や来訪者の性質・種類といったものにしっくりきて、且つ予算的にも可能性のある広告手段がなかったので。それに、当時ウェブサイトが提供できる情報は、正直そんなにありませんでした。参加アーティストが決まっていないから、作品の写真も載せられないなど、答えより質問のほうが多い状態というわけです。その時点でのゴールは、芸術祭の知名度を上げることと、あとは何よりも好奇心を駆り立てることでした。
東京アートビートとのコラボレーションがAQをこのプロジェクトと結びつけたとのことですが、この経験は同時に、芸術祭に興味を持つであろう人たちを探り当てるプロセスでも有用だったのではないでしょうか。このような取り組みに際して、どのような手段を取られましたか?
バイリンガル・ライターのTomomi[Tomomi Sasaki: AQスタッフ]が毎日15分を費やし、Twitterアカウントは活発に更新され続けました。彼女は多くの時間を、芸術祭に興味を持ちそうなTwitterユーザを探すことに割きました。というのも、ユーザは既にアート、直島、そして四国にある故郷について話し合っていたのです。我々はそのようなユーザに質問を投げかけたり、面白いエピソードを収集したりしました。
宣伝目的のTwitterアカウントの多くは、人々から寄せられた声に耳を傾けないようですが、我々はそういう姿勢はアカウントだけでなく芸術祭にもダメージを与えかねないと考えました。そこで、人々のつぶやきを慎重に読み、瀬戸内国際芸術祭に興味を持ち、また実際足を運んでくれそうな人たちのみを追っていきました。結果、アカウント上ではユーザ同士のやり取りが活発且つ効率的に交わされるようになったのです。
補足:2010年03月14日に開催されたTAB Talks #17 「アート・プロモーションのTwitter活用術」で、この経験についてプレゼンテーションをしました。
日英のアカウントを合わせて、現在10,000人以上のフォロワーがいます。この人数に到達するまでどれぐらいかかりましたか?
瀬戸内国際芸術祭が開幕した時点[2010年7月19日]で、フォロワー数は約8,000でした.
ソーシャルなやり取りを興味深くポジティブな内容に保つための方針について話されていましたよね。これらの方針について、事前に実行委員会と話し合われたのですか?それとも、Twitterアカウントを展開していくなかで徐々に出来上がっていったのでしょうか?
やっていくうちに少しずつ見出しました。アカウントのフォロワーたちとの間の相互努力によって、です。Twitter上で自分がやっていることが正しいかそうでないかはすぐに分かります。みんなが教えてくれますから。瀬戸内のローカル・ニュースに首を突っ込んだことが何度かありましたが、我々の期待以上に繊細な内容でした(直島にコンビニが開店した、など)。そうしたらすぐにフォロワーの一人が「余計なことに口を出さないほうがいい」って忠告してくれましたよ。
多くの企業はPRの失敗を怖れ、ソーシャルメディア上でのやり取りの内容を規制しようとする傾向にあります。公共の場でのオープン・ディスカッションというのは、企業や公共団体にとっては厄介なものになりかねません。クライアントからはどのような反応がありましたか?
そうですね。政府がスポンサーとなり、納税者に資金援助してもらうプロジェクトということで、コミュニケーションが公式なものかどうか判断するための明確なルールがあります。外部の団体である我々は、公式のルートを通じて芸術祭について語ることはできません。しかし、Twitterアカウントに関しては、「公式」(official)ではなく「公認」(authorized)という理解でした。そうすることで、何か問題が生じた際に主催者に否認権を与えることができたのです。
その選択肢を実際に活用しなければならなかったことは?
ありませんね。指示の有り無しに拘らず、弊社は実行委員会と常に緊密にコンタクトを取り、アカウント上でやり取りされる内容が本筋から逸れないようにしました。ネガティブな発言があった時は、それに対するアプローチの仕方についても話し合いました。また、実行委員会の方とCoTweetを使っていました。そうすることで、アカウント上での動きをお互い逐一確認することができたし、芸術祭がスタートしてからは、その責任の大半を委員会メンバーに委譲することができました。
現在、Twitterアカウントはイベント主催者たちの手によって運営されているのですか?
ほとんどの部分は。弊社のオフィスは東京にあります。開催前に人々の興味をいかに引くかという段階では、東京から作業するのは好都合でしたが、一旦ボランティアが集められ、アート作品の制作も進み、人々が瀬戸内を訪れる段階になると、そこで起こっていることを現地からレポートしてくれる存在が必要になってくる。我々は今でも面白いフォト・レポートやブログなんかを探してはtweetしていますが、なされる会話の主な部分は、現地で実際開催されるオープニングやクロージング・イベント、週ごとのイベントなどについての、生のレポートになってきています。
(後編に続く » )