制作のプランニングや日々のサイト運用に漠然と吸収される、コンテンツの制作・発信・管理。各組織のデジタルコミュニケーションの中核としての「ウェブサイト」に対するビジネスニーズが高まり、かつ不況の煽りで打ち上げ花火のノリでサイトを立ち上げる意義が問われるなか、コンテンツそのものに対する姿勢を見直すべきだ、という声が出てきています。
過去10年ほどでインフォメーションアーキテクチャがUXの傘下に入る一つの専門分野として確立されたように、この記事は「コンテンツ戦略」を一つの専門分野として確立することを提唱しています。いわば、その必要性を業界へ訴えている記事です。クライアントへのアプローチやウェブ制作の現場レベルへどう落とすかは、これから試行錯誤をしていく段階にあります。一緒に考える人が増えてくれるといいな、という思いで翻訳しました。
以下、オンラインマガジン「A List Apart」に掲載されたKristina Halvorson氏の「The Discipline of Content Strategy」の翻訳記事です.
私たち、つまりウェブサイトを制作する人間は、ユーザがコンテンツを探しあてて消費できるように、過去15年間にわたり数多くの専門分野を発展させてきた。ユーザエクスペリエンス、インフォメーションアーキテクチャ(情報設計)、コンテンツ管理システム、コーディング、メタデータ、ビジュアルデザイン、ユーザリサーチ、などなど。
しかし、おかしなことに、肝心なコンテンツそのものについては、あまり注目していない。
まぁ、確かにウェブライティングのスキルは身につけた。箇条書きなんてお手のもの!
しかし、「コレ意味あるの?」「本当に誰か読んでいるの?」というコンテンツにまつわる重要な質問は、怖くて聞けていないのではないだろうか?混沌としたコンテンツ制作のプロセスを見直そうと、誰か手をあげているだろうか?検索エンジンの結果を掻きまわす古いコンテンツを、誰かメンテナンスしているのだろうか?
コミュニティとして、我々はあまりコンテンツに触れてこなかった。それどころか、「クライアント側の担当範囲だ」「ユーザが生成してくれる」、とコンテンツは他人の問題であり、ウェブサイトを制作する人間はそもそも考える必要はない、といつしか静かに合意してしまったようだ。
では、ウェブ上のコンテンツというのは、ほぼクズであるのは、偶然だと思うか?
コンテンツに取り組むのは、面倒くさい。複雑で、痛みを伴い、お金がかかる。しかし、ウェブとはコンテンツである。コンテンツとはウェブである。私たちの時間と注目に値するのだ。そこで登場するのが、コンテンツ戦略だ。
コンテンツ戦略とは、有益かつ有効なコンテンツの制作・発信・管理に向けたプランニングである。コンテンツ戦略家は、発信するコンテンツを決定するだけではなく、なぜ発信するのかを定義する必要がある。
そうでなければ、「戦略」とはなたらず、誰も必要としないコンテンツの生産ラインを決めただけとなってしまう。
さて、コンテンツ戦略家にとっての主な納品物は、(当然ながら!)コンテンツ戦略となる。戦略をたてる前に、既存コンテンツの詳細な棚卸しと分析ステージを要する。これは非常に重要であるステージではあるのに関わらず、制作チームに軽く扱われたり飛ばされることが多い。
理想的なコンテンツ戦略では、以下を定義する:
「コンテンツ戦略:データの哲学」(Content Strategy: the Philosophy of Data)という画期的な記事で、Rachel Lovinger氏は言った:
コンテンツ戦略の主なゴールとは、意義あるインタラクティブなエクスペリエンスを支える、曖昧さの無いコンテンツを制作するために言葉とデータを使うことだ。これを実現するために、私たちは、コミュニケーションの全ての側面においてエキスパートである必要である。
なかなか難しい注文だ。一人のコンテンツ戦略家が「コミュニケーションの全ての側面」の一つ一つにおいて深い専門知識を持ち合わせるには、数が多すぎるのではないかと思う。
独自の定義に値するコンテンツ関連の専門分野がいくつかあるとしよう。以下の通りだ:
当然ながら、上で洗い出したものは、コンテンツ戦略家が担当して納品物を作成すべきない、もしくはスキルを持つ必要はない、と言っているわけではない。実際、私の経験では、コンテンツ戦略家というのは、有益かつ有効なコンテンツを実現するための上記の専門分野を受け入れて、こなすことができる稀な人種である。
しかし、だ。コミュニティ全体として、コンテンツの制作・発信・管理のプランニングにまつわる複数の役割を認識し、分担し、制覇しなければいけない。そうでなければ、私たちは、正しくコンテンツと向きあうための時間・予算・専門知識を低く見積もり続けるだろう。社内やクライアントに対して、このプロセスを明確に定義し、守り通すことができない。引き続き、フィックスされていないコピーを使い、公開直前の変更指示を受け、そしてクズを発信し続けるだろう。
我々は、もっと上を目指せる。クライアント、オーディエンス、そしてユーザとしての自分たちは、その努力と成果に値するのだ。
Saks Fifth Avenueの設立者であるDavid Campbell氏は、「自制心とは、欲するものを忘れないでいることだ」と言った。
コンテンツの制作や管理において、何を目指しているかを忘れたり断念することは簡単だ。
でも、コンテンツを戦略的なプランニングと意義ある投資に値するものとして扱うことにコミットするまでは、考えぬかれていないリクエストに随時対応し、価値を持たないコンテンツを捻り出し続けるだろう。ビジネスの実世界におけるコンテンツのニーズに応えるために確実にはデザインされていないページのテンプレートに、言葉・音声・画像・映像を落とし続ける。そして、お客さまは、相変わらず探しているものが見つからない。そして、私たちは、人々へ有益かつ有効なコンテンツを提供することに失敗し続けるのだ。
コンテンツが他人の問題だというフリは辞めよう。「コンテンツ戦略」の旗を掲げ、勉強して、実践して、普及しよう。さぁ、コンテンツを意義あるものにする時間だ。
Translated with the permission of A List Apart Magazine and the author[s].”