スマートフォンの先の世界で感情的な「もの」を設計する
例えば、週末にビーチに行ったとしよう。太陽が水平線の下に沈んでいくと共に、一緒に来た人がブランケットをたたみ、足の指の間の砂をこすり落とす。あなたは、海岸線沿いに最後の散歩をして、街に持って帰るための小さなおみやげを探す。見つかったのは石だ。なめらかで、やや平らで、どこにでもあるような色のその石は、あなたの手の中にすっぽりと収まる。手を閉じると完全に隠れてしまう。あなたは、その石をポケットに入れて、家路につく。
それからというもの、あなたは気付けば気づけばその石を手に取り、握ってみたり、指で輪郭をなぞったりする。それは数時間のことかもしれないし、数日、数ヶ月、あるいは数年間続くことかもしれない。石を触ると、決してそのためにつくられたものではないのにもかかわらず、なぜか癒やされるかのような感覚がある。あなたと石の間に極めて素朴で原始的なつながりが生まれるのだ。しかし情動は一方向にしか伝わらない――あなたは石を感じるが、石はあなたのことを感じていることを伝え返すことはできない。あなたは変わるが、石は変わらない。
それは石ではなく、小枝かもしれないし、硬貨や、ボタン、または生地の切れ端かもしれない。海岸で見つけたものかもしれないし、道路に落ちていたり、友人や親戚からもらったりしたのかもしれない。それが何なのかにかかわらず、感情が両方向に伝わる、つまり共感的なつながりが生まれる状態を想像してほしい。その「もの」は触られる度に私たちの心の状態を記録し、後にその記録を(一日の、一ヶ月の、一生涯の記録を)私たちと共有してくれる。そのような「もの」との生活は、私たちをどのように変えるだろうか。
2013年の初め、私たちはこの「もの」の設計に取り掛かった。このような重要な役割を責任をひと一つのツールに課すことの危険性を自覚していたため、親しみのあるり、落ち着いた、控えめな「もの」をつくることを目標にした。ここで紹介するのは、その設計過程と、経験を定量化するための取り組み、そしてものとどのような関係を持ちたいかについてののかということに関しての私たちの様々な問いだ。 この体験はあまりにも思いがけないもので、その過程で生じた自分たちへの疑問も非常に複雑あまりに複雑なものになったため、設計において直面した課題をここで共有したい。
2013年の初めに、オーストラリアのシドニーにあるGoogleのCreative Labに所属するトム・ウグローから連絡があった。彼は、ロンドンを拠点とするプロダクトデザイン会社のBergと「見ることのできるランプ」をつくる実験を終えたばかりで、好奇心の対象的が視覚から触覚に移っていた。彼から届いたブリーフィングでは、そのことがはっきりと述べられている。
触覚とはひとつの表現の形式だ。スマートフォンやタブレットのアプリは、ほとんどの場合この事実を利用していない。感情のトラッキングの多くはは大抵非感情的で、データを軸に動いている。駆動している。どのようにしたら、ユーザーが触覚を通して自分を表現して自らの感情の日記(もしくはデータ・セット)をつくることができ、を可能にし、その記録を意味深い(アート)か、役立つ(ツール)か、タイムリー(日記)なかたちで示すことができるだろうか?せるだろうか?
どのような結果を成功と考えたらいいのかと聞くと、ウグロー氏はこう答えた。
示唆的であること。……そして、メンタルヘルスに取り組んでいる組織にとって役立つものだったらなお良い。
ウグロー氏はその後、当時サンフランシスコのカリフォルニア大学で慢性ストレスの研究をしていたジュディス・モスコウィッツ教授を紹介してくれた。私たちと目指すものが向かっている先が合致していると考えたのだ。モスコウィッツ教授は、HIVと診断された場合など、ストレスが引き起こされる状況でどのようにしたらポジティブな感情を想起できるのかについて質的・、量的手法を用いて研究を行っていた。このような調査こういった調査のために彼女が必要としていたのは、参加者が自分の感情の状態を記録するためのツールだ。ひとりの時でも、公共の場にいる時でもこっそりと、そして簡単に使える自己報告のためのツール。彼女は、「わざわざ聞かなくても参加者がどんのような気持ちなのかがわかるように、感情に関する何らかの行動信号を得るためのデバイスを是非使いたい」とのことだった。
感情を記録することは難しい。モスコウィッツ教授から、メンタルヘルスの研究において感情を抽出するためにすでに「皮膚電動、心拍数、顔の表情、脳活動」といった要素が活用されていることを知った。しかしこういった情報は本当の感情を反映していると「考えられている」に過ぎない。このような生体測定を基にした手法は、現在でもメンタルヘルス研究の揺るがないスタンダードである自己報告(つまり、参加者が自らの感情的な状態を感じている時、もしくはその少し後に自分で記録する方法)と併用され、比較検証されている。 モスコウィッツ教授の研究パートナーのひとりであり、同じくカリフォルニア大学の研究室に所属するマイケル・コーンと電話で話した時は、「私たちは、参加者に自分人に自分の体験を記録し、定量化し、検証する機会を与えていまるわけです。私たちが彼らに話すのは、ポジティブな体験に気付き、その価値を認めることの重要性です。それを毎日、日記形式で行ってもらっています」らうわけです」、との説明があった。
コーン氏は同僚と共に様々な自己報告ツールを試験的に利用しているが、それぞれに制限がある。モスコウィッツ教授の研究では、トリガー(引き金)や反応を十分に特定し分析するために「参加者の生活に組み込まれたかたちで、頻繁に検査をする」必要がある。研究者の中にでは、紙面か単純なウェブフォームで毎日質問表のやりとりをしている人がいる。コーン氏は、自発的な感情評価を集めるためにテキストメッセージを利用している。他には、スマートフォンやタブレット向けの自己報告アプリを開発した人もいる。
こういったツールの調査を行ったところ、スマートフォンが最も合理的な配信システムであるかのように思えたが、いくつかの既存の感情ログアプリを試したところ、何かが違うように感じた。記録するための段階が多すぎる上(スマホをアンロックする、開いているアプリを閉じる、該当するアプリを開くなど)、気を散らす要素もたくさんあった(友人、仕事、悪習など)。コーン氏もスマートフォン利用で生じる段階の多さを懸念しており、「スマホが鳴ったら、どこからか取り出して、アンロックしたりしなくてはならない。テキストメッセージを送る場合は、ユーザーはメッセージをわざわざ開いて、読んで、そして返信しなくてはいけない。スマホはあまりに汎用的なツールですから、私たちの目的のためにはまだまだ利用するのが難しいとダメだということです」、と話した。
タブレット端末には、タブレット特有の他の問題がある。2009年にオランダの研究チームがアムステルダムで開催された「アフェクティブ(情動的)コンピューティングと知的な交流とワークショップ」(Affective Computing and Intelligent Interaction and Workshops)というイベントで「日常的な状況における感情測定のプラットフォーム」(Emotion measurement platform for daily life situations)と題した講演をし、感情の自己報告にタブレットを用いることの欠点について説明した。彼らの研究の結果、参加者がタブレットのサイズとキーパッドが不便だと感じていることがわかった。しかしより深刻なのは、参加者が公共の場でタブレットを取り出すと、周りの人に「感情を記録体験したことが伝わってしまう」ことに対して不快感を示したことだろう。スクリーンを介したタッチデバイスは、感情の表現というシンプルなタスクに良くない摩擦を生じさせていたのだ。1
スマートフォンは、私たちの生活を絶え間なく記録する初めてのデバイスというわけではないが、これほど多くの人の日常的な体験を、これほど深く、そしてこれほど早く拡張させたものは他にないだろう。現在10億台以上のスマートフォンが利用されているとされ、2017年までに45.5億人の携帯電話ユーザーの50%がスマートフォンを所有するとの推測(eMarketer)まで出されている。2
その短い歴史の中で、スマートフォンはほぼ無限に広がるキャンバスになり、人類が生み出したなかで最も幅の広い表現手段になった。そのガラスの表面と手のひらサイズにぎっしりと詰まったつまったセンサーとネットワークに接続されたサービスは限りなく書き換え可能で、ノートにもなり、図書館にもなり、人が集まる場所にもなる。この可変性は、様々なツールのハードウェア(スマートフォンのガラスの裏に詰めつめ込まれた)から、ソフトウェアへの大規模な転換を引き起こした。
溝を入れるなど目を使わずに手で操作できる形を試作した。
スマートフォンへのツールの集約は私たちの負担を軽減したが、予想外の副作用も生んだ。スマートフォンは、容赦無い「モード」の変移を促す。ゾンビを殺していたと思いきや、次の瞬間にはミーティングへの参加を表明したり、恋人と別れ話をしたりする。このことによって、私たちはパソコンでの体験とは次元の違う認知的負荷に瀕してひんしている。その一方で、最近のインターフェースデザインの傾向に従って、ソフトウェアは物理的な前身である道具への参照性が剥奪され、ユーザーは特色のないカラーフィールドに浮かぶ必要最低限に簡略された名詞や、動詞、そして記号[NM1] を通して生活における様々なモードと付き合うことを余儀なくされている。
デザイナーたちは、私たちの生活に有意義に導入され得る新しい形態や、インタラクティブな物体、そしてサービス層を探し始めている。スマートフォンからどうにか離れようとする「Google Glass」やスマートウォッチの「Pebble」などといったデバイスは、その形からだけでなく名前からも、親しみ深い物質性を軸にした価値表明をしている。
####今までとは違った触り方――最初のプロトタイプ
私たちが直面した最初の大きな課題がこれだ。感情的な状態の記録という極めて私的な行動に穏やかな明確さを持たせるために、スマートフォンの中で生じる幾多の感情的な文脈(愛、帰属心、責任、不安、快感などといった感情)の濃密な転換をガラスの表面の裏から引っ張りだす必要があったのだ。
まず、設計しようとしている「もの」の機能には控えめなかたちが必要だという結論に至った。コンパクトで、スクリーンがなく、ネットワークに接続されていて、シンプルなデータセットを生成できるもの。表面的には(スマートフォンのように)タッチデバイスになるが、スマートフォンとは違ったかたちで触れることができる「もの」にしたかった。
コーン氏は、「人に一貫して使ってもらって認知してもらうためには、なめらかな直感性のあるものでなくてはなりません。それに、参加者がその時やっていることを中断しなくて良いように何かを連想を引き起こさないことが必須です。私たちが使っている質問表のひとつの欠点は、参加者がその時にいる状況を一旦中断させなくてはならないことでしたから」、と話していた。
触覚は、感情的な幸福感や情動(感情の生理的な体験)と深くつながっている。そして、人間の感覚の中でも唯一豊かなインプットとアウトプットの能力を持ちあわせている。擦る、こねる、くすぐる、叩く、なでる、ひねる、掴むなどといった行為を通して、私たちは体を使って膨大な情報を伝えることができる。そして、位置、かたち、質感、温度、動きなどといった情報を受け取ることができる。
触られる物体として、スマートフォンが私たちに与えるインプット/アウトプット能力は、上記の限られたサブセットでしかない。インプットのデバイスとしては、時間、距離、リズム、方向、速度などを理解する。アウトプットとしては、温度と内側のバイブレーションの粗雑なうなりを通してコミュニケーションを図る。他にやりようがあることは疑いがない。 私たちが想像したのは、日常において感情的な区切りとなる全ての瞬間をブックマークするデバイスだ。ブックマークは、時間と感情的な状態だけで構成される。数時間、数週間、数年間とブックマークが集積されるにつれて、それらをマッピングし、個人的なパターンや環境刺激との関連性が見出だせるかもしれない。うまくいけば、感覚(sensing)を高めることによって経験に意味を与える(sensemaking)きっかけとなるツールになり得る。
最初のプロトタイプは、静かで、ややかさばった3D印刷されたプラスチックの容器だった。原研哉などの現代のデザイナーが指摘した、出刃包丁の角張った柄のようなオープンなかたち魚用の包丁など日本の伝統的な台所用具の角張った柄のオープンなかたちから着想を得た。ここで言う「オープン」とは、使用方法がそっと示唆されているだけで規定されていないという意味だ。容器の中には、場所を特定するためのGPSチップ、バイブレーションを発するためのモーター、一週間分のデータを保存するためのストレージ、そして丸一日の使用に耐えうるバッテリーが組み込まれた。
感情的な状態の記録は、ポジティブ/ネガティブ軸で行われる。ある方向に触るとポジティブな感情が記録され、反対方向に触ればネガティブな感情が記録される。またタッチの強度が感情の強さを表す。複雑で論争の的になり続けている感情のカテゴリーをシンプルな二項にまとめたのは摩擦を出来る限り少なくするためだ。
残念なことに、この初期のプロトタイプは試しに人に貸してみると、ハンドバッグの奥底に埋もれたり、家に置かれたまま忘れ去られたりしてしまった。外観が武器や性具を彷彿とさせるという人もいた。大きさを小さくして外観を改良すればより生活に取り入られやすくなる自信はあったが、どのような瞬間が「記録する価値」があるのかがわからないというユーザーからの報告が懸念だった。感情の自己評価だけでなく、そのタイミングまでユーザーに委ねることが不安を生み出していたのだ。
このプロトタイプは、「定量化された自己」を可能にするものに分類できそうではあったが、自己報告ツールとしては、このジャンルにひしめく既存の多くのパーソナルウェルネスツールの「起動して、後でチェックする」というインタラクションの 仕方の利便性はなかった。ものが役立ち続けるためには、常にその存在を覚えてもらっていなくてはならない、ということに気付かされたのだ。
####スマート不安――第2のプロトタイプ
利用頻度を高めるための戦略を熟考していると、モスコウィッツ教授の研究に求められるデザインの特性(データの一貫性、一定の量、忠実性――が、参加者のユーザー体験としてのニーズ)、穏やか、親しみのある、控えめと矛盾するのではないかという懸念に思い至った。前者に偏りすぎればデバイス関連の不安が生じ、後者に偏ればユーザーが頻繁に自己報告する必要性を感じず、使えないまばらなデータだけがつくられる。
私たちは、設計する上で取り組むべきふたつの密接につながった不安を特定していた。スマートフォンの所有者なら誰しもが感じたことがあるような不安だ。第1に、病み付きになる絶え間ないビープ音、バイブレーション、そしてアラートから生じる不安。そして第2に、分離不安。スマートフォンから離れている時に感じる不安だ。設計の初期段階では、このふたつの不安を軽減する方法を模索した。ひとつの大切なデバイスという不安を取り除くために、使い捨ての、体や周囲のどこにでも付けられるタグのようなセンサーを検討したが、より大きなホストデバイスを使わなくても良い実装方法がみつからなかった。鉛筆や硬貨に見せか掛ける方法も考えたが、どこかに間違って置いてしまう危険性が親しみ深さという利点を上回っているという結論に至った。
最終的なかたちと材質がデバイスを忘れにくくするだろうとの考えから、木、石、貝殻のような海岸に打ち上げられていたり、森の中で見つかったりする自然のものが、デバイスが積極的に促す必要なしにユーザーとのエンゲージメントを生むだろうと想定した。ジョナサン・チャップマンが2005年に「ゆっくりと時間をかけて成長する物体は、ユーザーがその物体に注ぎ込んだ注意や愛着の痕跡を反映させることによって何層もの物語を内包させる」(『Emotionally Durable Design: Objects, Experiences and Empathy』より)と書いたように、ユーザーはこういった「もの」に強い思い入れを抱く可能性がある。 ”3
当初は、ユーザーが接触を持つことを決める時まで静かなままでいる物体を理想としていたが、現実的に考えて仮設を検証するためには、少なくとも短期的にはユーザーの行動を促す何らかの指示を許容せざるを得なくなった 。
2013年12月にそれまでの美的な判断、調査、検証などを融合させてふたつ目のプロトタイプの制作に取り掛かった。その結果生まれたのは、海岸に打ち上げられた石に一歩近づいた「もの」になった。桜の木の小さなかたまりから手彫りでつくられ、手の中にすっぽりと収まる。上部の表面には、五つの薄いシルバーの突起物が配列された(何人かのテスターが後にこの突起物のことを「猫の手足」と呼ぶようになった)。
感情は、親指をシンプルに前後にスワイプすることによって保存される。親指で左から右へと突起物をなでると、指には心地よい滑らかな感触が伝わり、デバイスはポジティブな感情を記録する。反対に右から左へとこすると、抵抗によって突起物がわずかに皮膚へ食い込み、ネガティブな感情が記録される。触れる突起物の数が感情の強さに比例しており、1から5の段階で評価される。このポジティブとネガティブの基準を設けたのにはいくつか理由がある。2007年の「感覚的評価機器――文化を超えた情動の自己報告測定の開発」(”The sensual evaluation instrument: Developing a trans-cultural self-report measure of affect”)と題された研究論文のなかで、言語と感情の関係性の困難さが強調されている。研究者たちは、「言語は、体験の後に自らの感情を要約し、分類し、処理するためには素晴らしいツールだが、特に進行中の判然としない感情が入り乱れている時など、誰かとの交流のはかない一瞬のなかで情動を伝えるためには、ぎこちないものになることがある」と指摘している。感情の評価をひとつの触覚的な基準に集約し、見ないでも、あるいはポケットから出さないでも使えるようにすることによって、遅延を軽減し、頻度を上げたのだ。
####「この人」と時間を過ごす――トライアルの結果
3月に、ふたつ目のプロトタイプを使って単純なトライアルを行った。 トライアルの最中、プロトタイプは電子部品の入った容器につながれ、可動性が限定された。構成が依然としてもろい状態だったため、技術的なサポートを提供できるようにするために東京のデザインスタジオを主要トライアル環境に設定し、始まってからは参加者に家に持ち帰ってもらうようにした。
速やかにトライアルを行うため、スタジオから5五人の参加者を募った。 20二十代中盤から40四十代前半の女性2名、男性3名、そ の内日本人が4名、ロシア人が1名、職業はエンジニアから営業と様々な年齢や職種の人が集まったという内訳だった。参加者には2日間、 8時間の就業時間内に、スマートフォンのバイブレーションアラームから10分毎に促されるたびに感情的な状態のログを取ってもらうようにした。それぞれのログは、参加者自身のパソコンで開けるテキスト・ドキュメントに数値として瞬時に反映される仕組みを採用した。 2日間のトライアルが終了した後、参加への面接を行った。面接を重ねていくと、プロトタイプの思いがけない成功や失敗が浮き彫りになった。
たった2日間の間で、テストユーザーたちは私たちの想像を遥かに超えたかたちでプロトタイプに愛着を感じていた。何人かは、トライアル後も家に持って帰りたいと話し、手の脂が木の表面に刷り込まれることによってどのように色が変化するのかを楽しみにしていた。まだ名前のないその物体を「この人」と呼ぶ人までいた。
インタラクションの方法に関しての反応はまちまちだった。何人かは、触覚的なフィードバックを「自然」で「シームレス」だと表現したが、データが実際に記録されているのかについて確信が持てないとも話した。また、アラートが頻繁すぎて、アラートに対して無感覚になったり、圧倒されてしまったりしたユーザーもいた。他には、インプットが単純化されすぎていると感じたユーザーもいて、「毎回一言でいいから言葉を入力したかった。その方が後からデータを見る時にもっと意味を見出だせる」、とのコメントがあった。
最も驚いたのは、かたちやインタラクションについてではなく、内省や気付きの側面だった。当初は、自分の感情的な体験や何らかの結論を導き出す前に、数日間、少なくとも1日はデータが貯まるのを待つだろうという仮説を立てていた。しかしトライアルでは、ユーザーはそれぞれのログの直後に自分たちの状態について考え、結論を導き出し、時には自分の振る舞いを順応させていた。例えば、感情の状態が沈んだ時に「甘いものを食べる」、「休憩を取る」、「お茶を入れる」といった行動で対処したとの報告があった。プロトタイプを使うことに浄化作用があった、つまり感情から解放されたと話したユーザーもいる。
####感情とツールの新しい生態系
この初期のトライアルは、今回開発した物体のの感情的幸福感を向上するためのツールとしての長期的な価値を結論づけるには不十分であるが、コーン氏と話しているとほかにどのような用途があり得るのかを考えさせられた。コーン氏は、「有益なデータを作り出すことは間違いないと思います。ユーザーに頻繁に入力させる研究でも、ほとんどの場合1日に5〜6回程度です。もし1一日に50回、100回とログが取れるようになったら非常に興味深いですね。他にやった人はいないんじゃないかと思います」と話してくれた。
当初は、臨床研究と足並みを揃えて目標を設定していたが、観察の結果、より広範囲の人たちに応用できる「もの」だろうということが明らかになった。ことによると、数年後には感情認識を向上するために専用でつくられた全く新しい分野の物体、プロトコル、ソフトウェア、そしてサービスなどが現れているのかもしれない。そして、そういったテクノロジーの積み重ねは、個人や地域に変化をもたらすプラットフォーム、つまりメンタルヘルスのサービスに関する個人的な決断だけでなく、公共政策や投資に役立つ分析活動、そして自分だけで行ったり、他の人の指導を受けながら行ったりするプログラムなどから成る完全な生態系となり得るのかもしれない。
そのような生態系の活力は公共政策、個人ベスト、販売個数など、どのようなかたち表現されるのかはわからない。誰がデータ・モデルや、相互運用性の基準、そしてユーザー・エクスペリエンスの基準などを規定するのかも不明だ。感情的幸福感のためのデジタルツールは、健康分野の同等のデバイスの成功や失敗から学ぶことは多いが、最終的には、独自のユーザー・エクスペリエンスの原則に沿って考えなくてはならないだろう。それはデータの質だけでなく、自分の感情的幸福感を認識し、解釈する能力は健康に関するそれとは全く別物だからだ。
トム・ウグローからの提案を受けて、共感する「もの」を想像し始めてから1年が経った。彼が書いたように、「ユーザーが触覚を通して自分を表現して自らの感情の日記(もしくはデータ・セット)をつくることができを可能にし、その記録を意味深い(アート)か、役立つ(ツール)か、タイムリー(日記)なかたちで示せすことができる」ような「もの」だ。メンタルヘルスの研究に役立つ「もの」をつくるというところから出発したが、最終的なプロトタイプからは、新しいタイプの「もの」の可能性について考えさせられることとなった。
私たちが夢想しているのは、なめらかな石のような「もの」だ。充電する必要もなく、静かに自らの存在を気付かせ、そして指を表面を指でになぞらせることによってシンプルな感情を保存できるような「もの」。それは、慢性ストレスに苦しむ人のために役立つだけでなく、より広い意味で私たちの感情的知性や全体的な健康を測定し、向上するための新しい方法を切り開く可能性を秘めている。トライアルのひとりの参加者がぽつりと言ったように「感情は健康の入り口」だ。私たちは、自己報告の技術が研究室を離れ、あなたのポケットの隙間に入り込むだろうと考えている。あなたのスマートフォンと、あの、海岸で見つけた石の間のどこかに。
Special thanks 助言と激励と刺激をくれた Tom Uglowさん,Judith Moskowitzさん,Michael Cohnさん。多くのアドバイスをくれたAQメンバー、パートナー、友人のみなさん、ありがとうございます。
1. Westerink, Joyce and others. “Emotion measurement platform for daily life situations” Affective Computing and Intelligent Interaction and Workshops, 2009. ACII 2009. 3rd International Conference on Affective Interaction in Natural Environments (AFFINE).
3. Chapman, Jonathan. Emotionally Durable Design: Objects, Experiences and Empathy, 2005.
4. Isbistera, Katherine, Kia Höökb, Jarmo Laaksolahtib and Michael Sharpa. “The sensual evaluation instrument: Developing a trans-cultural self-report measure of affect.” International Journal of Human-Computer Studies 65.4 (April 2007): 315-328.